6. 憲法勉強会と木戸孝允との出会い

畠山が合流したワシントンでは、正式権限の不足で条約改正交渉に待ったがかかり、伊藤、大久保は天皇からの正式委任を取りに一時帰国する。結局、条約改正は断念するので、彼等の日本往復は無駄足になる感もあるが、二人を待つ時間的ロスを有意義に活用せんと考えた木戸孝允は、個人教授(後に開成学校にやってくるパーソン教授)について英語を学び、畠山と久米の憲法翻訳会に参加する。これにより、久米、畠山の下級随行員が、木戸というトップ官僚に、図らずも急接近することになる。

久米の談(久米博士九十年回顧録)によれば、久米と木戸は、肥後の安場保和の帰国問題に絡んで接触したことから懇意になったという。

攘夷の人である安場にとって、岩倉使節随行は苦痛であり、資金的な無駄に思えて帰国を望み、その交渉のために、久米は木戸を知るようになった、と久米は言っている。なんでも、ワシントンに着いても、数字を読まず、部屋やホテルの階を間違ったりしていたらしい。何千という文字数の漢字を解する当時の日本人が、たった10しかない数字を読めないわけがないのだから、これはどう考えても、読めないのではなく、読まないのだ。どんだけ頑固なんだかwと笑えるが、アラビア馬派に反感を抱く安場の心意気やあっぱれでもある。

といって、安場は小楠の筆頭弟子みたいな人なのに、なぜ明治が既に5年にもなった時点でそんなことを言っているのか?という疑問は残るのだが、この辺りは調べる術がないので先に進む。

久米は旅程の途中で使節全体の公式記録者になるが、当初は岩倉の個人的な書記として随行した仕事上の理由から、岩倉、木戸、大久保、山口の乗る同じ車両に乗っていた(ちなみに伊藤博文は、おっさん一行からは離れ、福地源一郎などと賑やかに旅をエンジョイしていたらしい)。それまで木戸と全く接触がなかったのではないが、久米が木戸と親しく話すようになったのは、安場に関する話のときからだそうだ。

当初、大久保と伊藤の日本往復を待つ間に時間のできた久米は、何か有意義な翻訳でもしようじゃないか、ということで、畠山と米国憲法の翻訳を試みたそうだ。その頃には、既に、記録官と通訳ということで、久米と畠山は親しい関係になっていたようだ。

その憲法勉強会を久米から聞いて、木戸が興味を示した。

ちょうど一旦大まかな翻訳が出来たところで、これから推敲していくので、では木戸さんの意見も聞かせてくださいな、というような流れで木戸の参加になったそうだ。

久米や畠山から見れば、一行の実質的最高幹部である木戸が仲間に入るのは、ほんの気まぐれ、暇つぶし、くらいに思えただろう。ところが、木戸日記を見る限りでは、木戸は本当に毎日、足しげく畠山のもとに通っている。

米国の憲法については、彼等よりも先に和訳しているものがあり、木戸は、ヒコ(ジョセフ・ヒコ、浜田彦蔵。漂流してアメリカ船に救助され、アメリカで育つ)の談で、幕末にヒコから米国憲法のことを聞いて感心する話もあるのだが、内容を学ぶ時間は取れなかったのだろう。この機会に、とばかり久米と畠山の仲間入りをしたようだ。

久米がいうには、朝からきて、昼ご飯を食べるとまたやって来るような熱心さであったらしい。木戸孝允の真摯な学徒としての姿勢が垣間みられる談だ。木戸は、後年にイギリスへの留学を志して、実行に移す前に寿命が尽きて果たせなかったが、政府の中枢で政治をするよりも、こういうことをしたかったんだろうな、と自分は思う。木戸は、死後、「故内閣顧問」と書かれていることが多い。最後の役職でもあるだろうが、その言葉で想像できるような仕事が、木戸の希望していた職責なのではないかとも思う。

この憲法勉強会の頃の久米の回顧譚で、「日本にも、当面の憲法のようなものがある」という久米に、木戸が「あ?そんなん、あんの?」とボケをかまし、五か条のご誓文のことだと言われて驚き、「んで、どんな内容だったっけか?」と三段構えに大ボけをかます話がある。

自分で作っておいて思い当たらないのもどうかと思うが、内容を忘れてしまっているのもすごい。木戸はそこで久米から五か条のご誓文を借りて行って、改めてこれを読み、うーん、よく出来ているではないか、と感心したりもしている。五か条のご誓文に木戸が関わっている、というのはウソかも知れない….と思わせるこの天然ぶりは、木戸ファンにはたまらないだろう。(ここ、ややホラぎみの久米の談よりも、更に誇張して、木戸の魅力を訴えております。恐らく、現実としては、久米がご誓文のことを言い、木戸がアメリカの憲法を知った目で照らし合わせる意味で、確認したかった、ということだと思います>木戸ファンのみなさまへ。)

こうして伊藤、大久保の留守中、久米を交えた交流で木戸と親しくなった畠山は、木戸を兵站に連れて行って、ばりばりの最新兵器であるレミントンの元込め連発銃なども見せたり、図書館や博物館に連れて行くなどの案内役も果たす。また、木戸の甥(後に養子になる木戸孝正、当時、来原彦太郎)が寄宿するアマースト大学のシーリー教授との連絡係を務めたりなど、公私に渡ってその能力を発揮しながら、個人的な信頼を得ていくことになる。

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