森と鮫島の帰国

畠山がブロクトンを離れ、就学と金策に走り回っている同じ頃、森と鮫島は、日本へ帰国のため、ブロクトンを発った。

林竹二氏の森研究には、 アメリカを離れる時点での森、鮫島から残りの仲間たちに宛てた手紙が載っているが、そこにはハリスの預言成就のため、とは書かれていないが、 同氏の研究によれば、ハリスの「日本の予言」成就のためだという。

森、鮫島のその後を詳しく知らないが、日本でハリスの教義を布教した様子はない。しかし、森 は71年に米国代理公使のような職(少弁務使)でアメリカへ着任する際、教団と密に連絡を取っており、教団も訪ねているので、脱退はしていないと思ってい る。

6月17日にパナマのアスピンウォールから、森、鮫島が残った仲間に向けて出した上記の英文の手紙には、6月8日にブロクトンを離れたとある。

アスピンウォールは現在のコロン。パナマ運河の大西洋側港だ。この時期には、まだ大陸横断鉄道が開通していないので、アメリカ横断は、NYからパナマ運河を 経由(この時代は運河開通前なので、大西洋側から太平洋側へ汽車で乗り継ぐ方式)してサンフランシスコへ出る航路が一般的だった。

6月8日というと、畠山が教団を去った5月12日頃から約1ヶ月後。その1ヶ月に、森と鮫島に何があったのかは不明だが、吉田は二人よりも早く離脱し、松村は二人よりも後に教団を去ったようだ。

畠山は二人の離脱をニューブランズウィックに移ってから知ったようで、驚いている。というか、むしろ、はぁ?って感じだが、花房には、「あんまり突飛なんで却って面白いくらいだ」というようなことを言っており、考えるところがあるのだろう、と理解も見せている。

ということで、ハリス教団に入った6名の薩摩留学生のうち、長沢を除く5名がブロクトンを発ったのは以下の日取りになる。

•5/13 畠山

•5/25前後くらい 吉田

•6/8 森、鮫島

•6/25前後 松村

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