帰国命令

ラトガースでの約3年の学生生活の後、1871年夏、畠山は日本からの命令で帰国を決める。

当初、帰国の命令は、ヨーロッパ各国を回って、教育制度を見ながら帰国する、というものであったようだ。薩摩藩の命令という話と、文部省からの命令という話とあるのだが、クラーク、マーリーは文部省に呼ばれたと言っている。公文書館の記録では明治4年4月3日に、川瀬安四郎(河瀬真孝。変名は音見清兵衛)と共に帰国命令が出ている。既に明治も4年になっており、イギリスでは長州藩の人間が任命されているから、藩でなく、政府による召還とみてよいだろう。 続きを読む 帰国命令