イギリス留学

元治2年3月21日iに鹿児島を発った一行は、5月28日英国サザンプト着。(1865年6月20日ロンドン着とJapan Encounters the Barbarian by W.G. Beasleyにある。ロンドンとサザンプトは汽車で2〜3時間だと思うので同日に比定。21日としているものもある。慶応時代の暦と西暦の計算はできないのでしない。特に断っていない限り、このサイトにある年月日は、基本的に西暦です。)

この日から、畠山は、ハリス教団(トーマス・レイク・ハリスの率いるスピリチュアリズム集団。ブロクトン時代の項参照)に参加する1867年7月頃までの2年間をイギリスで過ごす。

その間、畠山は、66年の夏にはフランス、イギリス国内を単独旅行しており、短い旅行日記が残されている。 続きを読む イギリス留学

市民軍参加

Andrew Cobbing氏のThe Satsuma Students in Britain: Japan’s Early Search for the essence of the Westのただで読める部分を読んだところでは、薩摩留学生たちはUCLには学費を払っているようだから、通ってはいたようだ。が、そこには、畠山がWoolwich(ロンドン西部)にあったロイヤル・ミリタリー・アカデミー(英国の士官学校)へ入ろうとしていたことに触れている。 続きを読む 市民軍参加

ローレンス・オリファント

畠山ら薩摩留学生に、アメリカ転出の計画がもたらされたのは、吉田、鮫島とオリファントの影響であるそうだ。

オリファントは、開港間もない日本を訪れたエルジン卿について来日した。この見聞を書いた本を読んで、若きアーネスト・サトウが東洋の神秘の楽園に憧れたと、彼のA Diplomat of Japanに書かれている。 続きを読む ローレンス・オリファント