フェリスの書いた「日本人がラトガースに来た経緯について」
ウィリアム・エリオット・グリフィスのThe Rutgers Graduates in Japanという本(というか冊子)に、日本からの留学生を初めて受け入れたときの経緯が、フェリス牧師からグリフィスへの手紙として載っている。以下はその拙訳。 続きを読む 日本人がラトガースに来た経緯
フェリスの書いた「日本人がラトガースに来た経緯について」
ウィリアム・エリオット・グリフィスのThe Rutgers Graduates in Japanという本(というか冊子)に、日本からの留学生を初めて受け入れたときの経緯が、フェリス牧師からグリフィスへの手紙として載っている。以下はその拙訳。 続きを読む 日本人がラトガースに来た経緯
ハリス教団を離れ、ラトガース大学(当時はラトガース・カレッジ。現在はユニバーシティ)に入った畠山は、1871年10月に政府からの召還によってアメリカを離れるまで、ラトガース大学に在学する。科学コースに2年(間に休学の可能性あり)、本校に1年で、学期として合計3年になるようだ。 続きを読む ラトガース大学とアメリカ人関係者たち
モンソンの留学生を支援していたといわれる「ホーク」、即ち、Foggについてのいろいろを、やや支離滅裂的に以下に紹介する。 続きを読む フォッグの周辺
畠山ら薩摩留学生に、アメリカ転出の計画がもたらされたのは、吉田、鮫島とオリファントの影響であるそうだ。
オリファントは、開港間もない日本を訪れたエルジン卿について来日した。この見聞を書いた本を読んで、若きアーネスト・サトウが東洋の神秘の楽園に憧れたと、彼のA Diplomat of Japanに書かれている。 続きを読む ローレンス・オリファント
畠山がイギリスの市民軍に参加したらしいという話に前後して、「オリファントに英国士官学校に入れてもらった(南が本当に入ったかどうかは不明)」という南貞助は、その後もいろんなところに出てくる。 続きを読む 南貞助