出自について まとめ

当時の記録等には、留学出発の頃の名は畠山丈之助、良之介とある。

イギリス、アメリカでの名は杉浦弘蔵。英語では、弘蔵をKo ZoまたはKozoでK.Z.とも書き、杉浦はSoogiwooraと書いているものが多い。Sugiwoolaなどという綴りもある。久米の回顧録に 「ひろぞう」とも言っているが、これは単にふりがなをつけた人の誤植だろう。

2016年夏現在までにわかった出自について

1842年9月薩摩藩一所持の市成島津家、或いは敷根家、土岐家ともいわれる島津(右膳/主水)久誠の三男として生まれたと思われる。 続きを読む 出自について まとめ

土岐四郎について

市成のある輝北町(現在は鹿児島県鹿屋市)の「輝北町郷土誌(2000年)」には、敷根家の家系が説明されている。そこでは、土岐四郎に相当する人を島津久☐、二階堂行の方も行☐と書いていて、両人とももう一字あるらしい。

久☐の名は何であるかについは以下の説がある。 続きを読む 土岐四郎について

家族親族

さて、その土岐四郎が当主であり、畠山義成の実家と考えられる市成島津家または敷根島津家は、武鑑の系図で二代前、すなわちこの兄弟のじーさんにあたる人が、島津石見久浮である。

この人も斉彬時代の家老で、当時の薩摩藩の記録に島津石見という名は結構良く出て来る。

ところが、系図を見ると、このじーさんは市成島津の人ではなく、二階堂家から養子に入っている。蔀が二階堂家に養子に入るのはその関係だろう。

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土岐四郎と二階堂蔀と畠山義成

一所持格の畠山家を遡ると長寿院盛淳にたどり着く。長寿院盛淳は、義成よりは有名なのでネットに情報がある。詳しくはそちらをご参考頂きたい。

それよりも近い時代の情報として、土岐四郎、二階堂蔀が兄である、と仮定する根拠は以下の通り。 続きを読む 土岐四郎と二階堂蔀と畠山義成

畠山の兄弟と父親

江戸時代よりも前のことはよくわからないので聞かないでもらいたいが、帖佐平山氏の一族である市成氏がいたことから、その辺りは市成というそう。大隅半島の桜島がつながっているところよりも北。その後、市成氏は島津氏に滅ぼされた(建武年中)そうだ。

敷根家は、美濃の土岐家と同族の土岐氏が敷根へ入って敷根氏を名乗ったという。これは鎌倉時代より前らしい。

要するに、市成は人名から、敷根は元々の土地名ということになるだろうか。 続きを読む 畠山の兄弟と父親